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2008.11/28 [Fri]
カンディンスキー&ミュンター1917
カンディンスキー&ミュンター1917
1996年10月26日〜1997年2月2日
セゾン美術館
主催:セゾン美術館 東京新聞
製作協力:西友 西武百貨店
後援:ドイツ連邦共和国大使館 大阪・神戸ドイツ連邦共和国領事館
企画協力:レーンバックハハウス・ミュンヘン市立美術館
協力:ルフトハンザ ドイツ航空
カタログ:全205P
製作:コギト
宮城→東京→愛知→札幌で巡回開催
今はなきセゾン美術館は、経営者の意向もあってか、近代・現代芸術の展覧会を盛んに開催していた。
バブル時代、デパート各社はこぞって美術館を保有した。当時「メセナ活動」なる言葉が盛んに喧伝され、各企業は文化に理解があることを示すため、コンサートや展覧会に出資した。デパート各社が美術館を保有していたのも、そういう時代背景があったからだ。
しかしバブル崩壊後、デパート各社は軒並み売り上げを落とし、美術館を保有する余裕がなくなった。セゾンをはじめ、小田急、伊勢丹、東武デパートが美術館を閉館し、関東のデパートで美術館を持っているのは大丸とそごうだけになってしまった。
「デパート=デパ地下」というイメージが定着している人たちには、信じられないかもしれない。
この展覧会は、先にも書いたとおり、近・現代美術を積極的に取り上げた(そのためか、ほかのデパート系美術館よりも早く閉館する羽目になった)セゾン美術館らしい展覧会のひとつである。
近・現代美術を語る上において、カンディンスキーの名前ははずせない。彼の芸術家としての能力は製作面だけでなく、ある時は理論家として、そして教育家として抜群の能力を発揮した。1922年から1933年まで、デザイン界に多大なる影響を与えたバウハウス教授陣にもその名を残している。
彼はバウハウスで教鞭をとる以前にも教師の仕事をしていたが、ミュンターはその時の教え子の一人である(「学校」といってもそれは正式なものではなく、仲間と自主的に運営していたものだったが)。やがて2人は「教師」と「生徒」の一線を越えてただならぬ関係になり、10年以上生活を共にすることになる。この展覧会は、その時代の2人の作品にスポットを当てている。
現代美術の開拓者と思われているカンディンスキーだが、20世紀初頭の彼の画風は、以外にも堅固な造形感覚にあふれる作品を多数残している。時代が下るにつれ、彼の画風は野獣派(フォービズム)や、20世紀初頭のドイツで一大勢力を築いたブリュッケ、さらにピカソなどの影響を受けて徐々に変化し、独自の色彩論・芸術論を打ち立てた。1910年代、特に「コンポジション」以降の彼の画風はきわめて難解であり、一目見たところで画家が何をいわんとしているのか、理解できないだろう。カタログには詳細な解説がついているが、鑑賞の助けになっているとは言いがたいところもある。
これに対して、ミュンターは、カンディンスキーと生活をともにしているにもかかわらず、ブリュッケやフォービズムの洗礼を受けつつも、くっきりとした輪郭を持つ絵画を多数制作しているのが面白い。その理由はカタログを読んでも定かではないが、おそらくミュンターは彼の芸術活動に理解をしつつも、「コンポジション」のような画風を試したいとは思わなかったのだろう。
面白いことに、2人は1917年に別れてから、この時代のカンディンスキーの作品の所有権を巡って裁判沙汰になり、最終的に所有権はミュンターのものになった。カンディンスキーの作品はナチスの迫害対象になったが、彼女はさまざまな圧力に耐えてこれらの作品を守り抜いたことは、大いに評価されるべきである。
正直なところ、カンディンスキーの1910年代以降の作品は、私にも理解不能で、この作品のどこがいいのだろうと思うことが再三ある。それでもこの作品に心を奪われるということは、私の心の奥底で「素晴らしい」と思わせる何かがあるのだ。それを的確に表現できない自分がもどかしい。
1996年10月26日〜1997年2月2日
セゾン美術館
主催:セゾン美術館 東京新聞
製作協力:西友 西武百貨店
後援:ドイツ連邦共和国大使館 大阪・神戸ドイツ連邦共和国領事館
企画協力:レーンバックハハウス・ミュンヘン市立美術館
協力:ルフトハンザ ドイツ航空
カタログ:全205P
製作:コギト
宮城→東京→愛知→札幌で巡回開催
今はなきセゾン美術館は、経営者の意向もあってか、近代・現代芸術の展覧会を盛んに開催していた。
バブル時代、デパート各社はこぞって美術館を保有した。当時「メセナ活動」なる言葉が盛んに喧伝され、各企業は文化に理解があることを示すため、コンサートや展覧会に出資した。デパート各社が美術館を保有していたのも、そういう時代背景があったからだ。
しかしバブル崩壊後、デパート各社は軒並み売り上げを落とし、美術館を保有する余裕がなくなった。セゾンをはじめ、小田急、伊勢丹、東武デパートが美術館を閉館し、関東のデパートで美術館を持っているのは大丸とそごうだけになってしまった。
「デパート=デパ地下」というイメージが定着している人たちには、信じられないかもしれない。
この展覧会は、先にも書いたとおり、近・現代美術を積極的に取り上げた(そのためか、ほかのデパート系美術館よりも早く閉館する羽目になった)セゾン美術館らしい展覧会のひとつである。
近・現代美術を語る上において、カンディンスキーの名前ははずせない。彼の芸術家としての能力は製作面だけでなく、ある時は理論家として、そして教育家として抜群の能力を発揮した。1922年から1933年まで、デザイン界に多大なる影響を与えたバウハウス教授陣にもその名を残している。
彼はバウハウスで教鞭をとる以前にも教師の仕事をしていたが、ミュンターはその時の教え子の一人である(「学校」といってもそれは正式なものではなく、仲間と自主的に運営していたものだったが)。やがて2人は「教師」と「生徒」の一線を越えてただならぬ関係になり、10年以上生活を共にすることになる。この展覧会は、その時代の2人の作品にスポットを当てている。
現代美術の開拓者と思われているカンディンスキーだが、20世紀初頭の彼の画風は、以外にも堅固な造形感覚にあふれる作品を多数残している。時代が下るにつれ、彼の画風は野獣派(フォービズム)や、20世紀初頭のドイツで一大勢力を築いたブリュッケ、さらにピカソなどの影響を受けて徐々に変化し、独自の色彩論・芸術論を打ち立てた。1910年代、特に「コンポジション」以降の彼の画風はきわめて難解であり、一目見たところで画家が何をいわんとしているのか、理解できないだろう。カタログには詳細な解説がついているが、鑑賞の助けになっているとは言いがたいところもある。
これに対して、ミュンターは、カンディンスキーと生活をともにしているにもかかわらず、ブリュッケやフォービズムの洗礼を受けつつも、くっきりとした輪郭を持つ絵画を多数制作しているのが面白い。その理由はカタログを読んでも定かではないが、おそらくミュンターは彼の芸術活動に理解をしつつも、「コンポジション」のような画風を試したいとは思わなかったのだろう。
面白いことに、2人は1917年に別れてから、この時代のカンディンスキーの作品の所有権を巡って裁判沙汰になり、最終的に所有権はミュンターのものになった。カンディンスキーの作品はナチスの迫害対象になったが、彼女はさまざまな圧力に耐えてこれらの作品を守り抜いたことは、大いに評価されるべきである。
正直なところ、カンディンスキーの1910年代以降の作品は、私にも理解不能で、この作品のどこがいいのだろうと思うことが再三ある。それでもこの作品に心を奪われるということは、私の心の奥底で「素晴らしい」と思わせる何かがあるのだ。それを的確に表現できない自分がもどかしい。





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